みなとぴあに行ってきた

中国旅行の日記とは、別件で、

 

今日は、新潟市歴史博物館・みなとぴあに行ってきた。

私は生まれも育ちも新潟市(合併前は別の町であったが)でありながら、一度も行ったことがなかった。信濃川をはさんで向かい側にある朱鷺メッセ佐渡汽船乗り場にはバイトや部活の合宿などで度々足を運んでいたし、みなとぴあというものがあることは知っていたがなかなか訪れる機会はなかった。

あと1週間ほどで新潟を離れて働くことになるので、せっかく天気もいいし行ってみるかという気になったのだ。

 

みなとぴあには、他にも旧新潟税関庁舎や旧第四銀行支店を利用したカフェなどが併設されており、新潟市の観光地(?)の一つになっている。

はっきり言って人も少ないし、小さい外見からはたいして見るものもなさそうだが、天気のいい日に散歩がてら信濃川新潟市の風景を見るついでに来るには悪くないところである。まぁつまり私としては、博物館だけ見るために訪れるほど魅力がないように思えた。それよりも信濃川朱鷺メッセ、万代橋など景色を見るほうが有意義だと思った。

 

そんな小さな博物館であるが、新潟市に住んでいたものとしてはなかなか興味深いものもあった。

 

例えば、明治時代、古町に堀があった頃の地図。

父親からかつては古町の西堀には堀があり、1964年の新潟国体開催に向けて堀が埋められたと聞いたことがあったが、明治初期にはここまで堀が張り巡らせれていたとは想像していなかった。

 

一番堀が多い明治8年の新潟港の様子(新潟市歴史博物館)

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さすが水の都と自称するだけあるな。これを残していればベネチアアムステルダムのような運河のある素敵な観光都市になったのでは!と思った矢先、干上がったように水が少ない堀や多くのゴミが捨てられた水路があるかつての古町の写真があり、あーこれは埋め立てても仕方が無かったのかもしれないと思ったのと同時に、ベネチアアムステルダムなどの都市が美しい景観を維持するためにどれほど苦労しているのかも考えさせられた。

 

そして、もう一つ非常に興味深かったのは、新潟が原爆投下の候補地であったところ示すアメリカ軍の指令書

新潟が原爆の候補地であったということは聞いたことがあり、インターネットでもこの情報を確認することができるが、この文書は始めてみた。

作成日付は1945年7月25日。

対象都市は、広島、小倉、新潟、長崎。冒頭で、8月3日以降、爆撃可能な天候であれば以上の都市の1つに特殊爆弾を投下すると示されている。

もし仮に新潟の天候がよかったら・・・私どころか私の両親さえ生まれることなく新潟市は全く別の道を歩んでいくことになったのであろう。

ただ健康に新潟の街を歩けることがどれほど素晴らしいことに思えた。

 

原爆投下候補地を示した米国軍の文書(新潟市歴史博物館)

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この指令書を受け、広島、長崎が原爆投下された後の8月10日、新潟市は原爆の投下の危険性から市民に対して緊急退避令を発令している。

そのため、15日の終戦時には新潟市はほとんど無人だったらしい。

実際にはどんな様子だったのか。新潟市の終戦時を知る方にぜひお話を聞いてみたい。

原爆投下を受けての緊急退避令(新潟市歴史博物館)

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成都・庙会

2月20日。

午後2時過ぎに成都東駅に到着。

19日午後4時過ぎに柳州を出発してから20時間以上経過していた。

 

2月2日に西安に出発し、長沙、張家界、桂林、柳州を経て、無事成都に帰還。

春節期間の成都は、交通量が少なく街も静か。

中国西南部の大都市である成都は、移民や出稼ぎ労働者が多く、大半の人々は帰省済みの様子。

 

帰国便まで6日間成都に滞在する予定なので、友人が経営しているホステルに向かう。東門大橋を降りて、徒歩5分のアパートの5階、青年旅舎安已个家にたどり着き、前もって渡されていた鍵で中へ。

ホステルのスタッフは春節で帰省中。

置いていかれた猫が僕を出迎える。

 

夕方から成都の友人ドリスと合流。

成都への帰還を祝してカエルの干火锅で夕食。

やはり山椒のきいたじゃがいものスライスがうまい。僕のお気にいりである。

 

その日は、疲れていたので早めに就寝。

 

 

2月21日。

この日は、錦里で行われている庙会に行ってきた。

庙会は2月19日から2週間ほどの期間開催される成都春節を祝う行事で、ドリスが子どもの頃は毎年行っていたらしい。

ならば行こうということで夕方一緒に行くことにした。

 

それまでは成都の中心部を歩いて見てまわることにした。

天府広場、人民公園や宽窄巷子を散策。

春節で多くの店が閉まっているため、多くの人が集まり活気があるどころか、宽窄巷子では身動きが取れないほど(笑)

 

 

道中、パンダポストという郵便局があったので休憩がてら2通手紙を書く。

 

そして夕方、錦里に到着。30元で庙会のチケットが購入できる。

錦里は普段から屋台やお土産屋が立ち並ぶ観光地で、本来入場無料で楽しめるのだか春節の期間はチケットが必要。

その代わり、普段90元(たしかそのぐらい)ほど払わないと入れない武侯祠に入場でき、三国志蜀の三兄弟の像を見ることができる。

僕はまだ見てなかったので、得した気分。

三國志きっての豪傑関羽張飛の像はさすがの風格。

 

さらに園内にはショーを行う舞台や色とりどりに輝く無数の提灯や池を中心に作られた巨大三兄弟像など見所盛りだくさん。

昼には、様々なイベントが行われているようだが、夜のほうが圧倒的に園内の景色が美しいと思う。

またチケット代も安いので、バックパッカーの旅行者には夜がおすすめだ。

 

春節 in 柳州

 2月17日。

朝10:30のバスで桂林から柳州に向う。

柳州は英国留学中クラスメートだったヤンフィの故郷。

普段、彼女は上海で働いているのだが、春節で帰省しているということなので彼女の家にお世話になることになった。柳州は広西チワン族自治区の第二の都市。

しかし、地球の歩き方「中国」の中では特に紹介されていない。

今まで行って来た場所は観光地か大きな都市ばかりだったのでどんなところか非常に楽しみだった。

 

午後1時過ぎに柳州に到着。

無事バス停でヤンフィを見つけることができ、彼氏の車で昼食に連れて行ってもらう。

米粉を使った麺類や炊き込みご飯など地元の料理をごちそうになる。特に気に入ったのは巻粉という米粉の生地で少し甘めの牛肉を巻いた料理。炊き込みご飯も間違いない味で日本人好みだと思う。

ちなみに柳州の特産品の一つは棺桶。

そのため、市内では棺桶の形をしたキーホルダーが売られている。これはけして悪い意味のものではなく幸運を呼ぶ御守りのようなものとして売られている。

街を歩いてる途中にヤンフィからお土産としてキーホルダーを買ってもらった。好きなものを選ぶように言われたので、「一路顺风」と書いてあるものを選ばせてもらった。この旅行中にたびたび耳にした好きなフレーズである。

 

棺桶のキーホルダー。装飾から見るに本当の棺桶はお金持ち向けか。

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その後カフェでのんびりした後、彼女の家族(親戚を含む)でご馳走を食べる。

テーブルに収まらない数の食べ物が運ばれてきて、間違いなく今年一番のご馳走だった。本当にごちそうさまでした。

 

夕食後は彼女とその彼氏に着いて同窓会のカラオケに参加。しかし非常に残念なことに歌える曲が見つからず…。

日本語の曲が少ないのはともかく、英語の曲でQueenAerosmithの名曲すら見つからず、自分のレパートリーのなさを嘆く結果となった。まさか一曲も歌える曲が見つからないとは…。

中国や英語の歌をもっと歌えるよう頑張ろうと思った。柳州での屈辱である。

 

2月18日。2015年春節前夜。

ヤンフィとその友達と飲茶ブランチ。

お茶を飲みながら10種類ほどの料理を食べる。

ここでも米粉を使った料理が多く、米どころ新潟出身の私は勝手に親近感を抱く。

昼食後は、市内にある市場や古い城門、30階にある回転式展望レストランなどに案内してもらう。

 

柳州は、Uの字を描いて流れる大きな川を中心に街が作られており、川沿いの景色は非常に美しい。カルスト作用で生まれた小さな岩山が市内にいくつもあるので、桂林の景色に似ている。それでいて観光客が少なく街が綺麗なので個人的には桂林よりも格段にいい街だと思う。

 

市内を散策した後は田螺のような貝を食べる。

これも柳州のご当地グルメらしくピリ辛の味付けが美味しい。ビールといっしょに食べたい一品だ。

 

その後は、家に戻り夕食。夕食の前には、爆竹を点火。

大きな音が各家から聞こえ、これが大晦日(春節の大晦日ことである。以下同)の習わしらしい。

オードブルとしてスープを飲んだ後に、手作りの料理が大皿で6品ほど並ぶ。地元の料理だというジャガイモと厚切り豚肉のミルフィーユ煮は食べごたえがあり美味しかった。

またヤンフィいわく、中国の大晦日の料理ではどこの家庭でも一匹ものの魚の料理が出て、その頭と尻尾は食べずに残しておくらしい。これが次の年の福を招く風習の一つらしい。

これを後に友人に聞いてみたところ、次の年もゆとりがありますようにという意味の「年年余有」という熟語の「有」の発音が、「魚」と同じであるため、「年年余魚(有)」という縁起担ぎで魚を残しておくらしい。

首尾一貫した決まりのいい年になるようにということかなという僕の予想は全く外れていた(笑)

また、お父さんから茅台酒を飲ませてもらう。

白酒の中で最高級の貴州産のお酒。ありがたく頂戴した。

 

友達の家庭での料理。レストランの料理より油っぽくなくて好み。

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夕食後少しのんびりしてから、車で川沿いの中心地へ。CCTVの年越し番組(日本でいう紅白歌合戦のような番組)が広場で放送されており、屋台や花火をする人たちで賑わっている。

都市部では春節を祝う花火が禁止されていると聞いていたが、ここ柳州は無関係のよう。私は手持ちの打ち上げ花火とろうそくの熱気で空に浮いて行く気球のようなもの(正式な名前は何というのだろうか?)を楽しんだが、花火の種類は本当に様々。手持ち花火から爆竹、ねずみ花火、大きな段ボールに入っている連続打ち上げ花火などなど。ほとんどが日本のものより大きな音が出るように作られているように思えた。そして皆自由に花火を楽しんでいるので、ぼーっとしていると火傷するのではと思うほどであった。

 

住宅街でも構わず花火。新年を祝うのに細かいことは気にしてられない。

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またその広場の側では、川の上で行われる噴水ショーを見ることができた。西安に引き続きの噴水ショーであったが、柳州の川と山を背景に行われるこれはまた別な趣があった。

ヤンフィいわく、噴水ショーは中国の多くの都市で見られるとのことで、これを聞いた私は、新潟の信濃川でこれをやれば少しは観光客を呼べるのではなどと考えていた。

 

その後、30分ほど川沿いの道を散歩。

夜の柳州の川沿いは本当に綺麗(大晦日というのもあるのだろうが)。川沿いの山には幅の広い滝が作られており、ライトアップられていて非常に美しかった。大晦日はまだまだ続く。家に帰ってからは皆で年越し餃子作り。みんなでこれを食べてようやく新年を迎えることができる。新年快乐!日付をまたぐ頃が花火のピークであり、外がうるさくて家の中でもなかなか話すことができないほど。僕たちも外に出て、爆竹や打ち上げ花火を使い切る。中国の春節は本当に賑やかだ。

 

柳州の夜は美しい。

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2月19日。中国のお正月1日目。

朝起きて外に出ると昨日の花火の残骸だらけ。どれほどの花火が一晩で使われたのかを物語る。

朝食を食べた後は、ヤンフィの家族に市内を案内してもらう。

公園で卓球をしたり、ヤンフィの高校を見たり(下宿もあり非常にでかい)、龙潭公園という池がいくつもある大きな公園(中国の基準では普通らしい。大国のスケール感恐るべし)を散歩したりした。

そして家に戻り、昼食を食べて16:05成都行きの列車に乗るために駅に向かった。

 

春節中の龙潭公園。お店が休みなので、園内は人人人、、、。

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柳州にはたった2泊しかしなかったが、ヤンフィやその家族、彼氏、友達と多くの人々に会うことができ、春節を過ごしたということもあり今までで1番楽しく居心地の良い街であった。

個人的には、桂林よりも断然柳州に長く滞在するべきだと思った。

街を流れる川の水質自体は桂林よりよほど綺麗だし、なにより観光客がほとんどいない。その上、無料で楽しめる場所が非常に多い。市内には多くの公園があり、博物館や体育館などの公共施設に無料で入れる。さらに市民は市内に設置された自転車を無料で使えるようになっている。緯度が低く南国のような気候であるため、冬でも暖かく緑も豊かだ。ヤンフィのお父さんは、柳州は中国で住みやすい都市ランキングのトップ10入りしたこともある街であると言っていた。今まで訪れてきた都市と比べると綺麗で人口過密化が進んでおらず、それも頷ける。

ヤンフィのおかげで、僕にとっての柳州はもっと長く滞在したいと思えるほど居心地のいい街であった。

桂林・阳朔滞在

2月13日。

朝5時に起き、静かに友人の家を出発。(サニーありがとう!)

タクシーで20分弱、26元で南長沙駅に到着。

到着が早すぎたのか、検票が始まるまで少し待機。

7:11の電車で桂林に。

 

中国では、 「桂林山水甲天下」 という言葉がある。

桂林の山水は天下一!という意味だ。そのため僕の桂林に対する期待値はかなり高かった。

 

桂林駅に到着。

1時間ほど市内を見ながら歩き、桂林での宿・Parkside Hostelに。

受付のヤンさんは英語が流暢でフレンドリー。

 

お昼を済ませて午後は、象山公園に。

広西チワン自治区出身の友達が桂林には象の形の岩があると教えてもらったので行くことにした。チケット代は75元となかなか。

ホステルで聞いたところ桂林で無料で楽しめる観光地は少ないとか。

バックパッカーにはなかなか厳しい街だ。

園内には象が川の水を飲んでいるように見える巨大な岩山があり、その上に登れるようになっている。

 

象山公園のゾウさん岩。人気の撮影スポット。

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確かに象のような岩は素晴らしいのだが、思っていた以上に川が汚れており少しがっかり。山水とは全体としての風景を指すのであり、空気や水質そのものがきれいなわけではないのだと思い知った。

桂林は思った以上に大きな都市で交通量も多いため、空気はけして良くなく期待値が高かった分がっかりしてしまった。

また、街を歩いているとたびたび川で洗濯をしている人を見かけた。これを見た時にかつてのクラスメートの中国人が中国はまだ発展途上国だと強く主張していたのを思い出した。皆がこの素晴らしい風景を汚すことなく生活できるようになればと思うが、なかなか簡単に解決できる問題ではないのだろう。

 

その日は、疲れていたので早めに就寝。

 

 

2月14日。

朝早く起き、昨日ホステルで申し込んでいた漓江下りツアーに参加。

普通船(中国人用)と豪華船(外国人用)で2種類あったのだが、普通船が240元で、豪華船が365元とかなり値段に差があった。

ヤンさんいわく、豪華船であれば英語のガイドいるし船もより大きいし、なにより普通船は船内でいろいろ売りつけてくるからオススメしないとのことだったが、値段の面から普通船を選択。

7:40頃にガイドさんがホテルまで迎えに来てくれてバスで1時間ほどかけて船着場へ。行きのバス内でさっそくお土産の紹介が始まった。

船には30人ほどの客が乗船。二階のデッキには自由に行き来でき、簡単な昼食付き。ガイドが中国語のため岩の説明などはわからなかったが、ガイドブックやパンフレットを見れば問題なかった。船内でもいろいろ販売していたが、しつこくはなかった。

結果としては、普通船で十分満足できた。

それに幸いにも留学中のイギリス人の女の子二人も同船していたので、話し相手に困ることとなかった。

 

霧がかり幽玄な景色。まさに水墨画のよう。

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桂林を出発して4時間半ほどでに到着。

阳朔は桂林よりも小さな川沿いの町で周りを小さな岩山で囲まれている。

必要な店がより狭いエリアにまとまっており、居心地は桂林よりもよい。

バックパッカーが多いのも頷ける。

予約していたWestland Hostelで仮眠を取り、夜9時頃にかつて西洋人が住んでいたという西街へ。

レストラン、屋台、服屋、お土産、パブ、クラブと様々なお店が並んでおり、活気のある通り。

夕食に10元の桂林米粉食べて、ふらりとショーパブに入る。

地元のビール一本35元とかなり高額。少しショーを見てからそそくさとホテルに戻る。

 

 

2月15日。

朝はのんびり過ごして、昼頃から阳朔大橋に向う。

天気がよく、この橋からの景色はとても綺麗だった。カルスト地形と漓江、そこに浮かぶ小舟が見事な景色を作り上げていた。

 

阳朔大橋からの景色。無料楽しめるオススメスポット。

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その後、漓江沿いに歩いて徐悲鸿故居へ。

彼の絵でも見れるかと思って立ち寄ったが、彼の来歴に関する展示ばかりであまりそそられなかったので、すぐに撤退。

この時点でまだ午後1時過ぎ。

桂林に戻るにはまだ早いので、20元でGiantのマウンテンバイクをレンタル。

受付のお姉さんオススメのコースを3時間ほどかけてサイクリング。

コースは、 阳朔の西から郊外に出て、朝阳→兴隆寨→大石寨→月亮山と周り、十里画廊景区を通り、阳朔に戻るというもの。

特に、阳朔を西側から出てすぐの郊外風の景や遇龙河を竹の舟で下っている景色がのどかで良かった。

畑仕事している人々の様子や家畜の牛や鶏が見られたので、街の喧騒から少し距離を置いてのんびりできた気がした。

途中舗装道を外れ、泥だらけの農道を歩いていた時は少し大変だったが、サイクリングは非常に楽しかった。

阳朔に行く機会があれば是非やって見てほしい。

 

月亮山と自転車。完全に舗装路を外れ、ただただ歩いた。

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自転車を返して、阳朔北バスハーミナルから桂林に戻る。

個人的には、桂林にはがっかりで、阳朔の雰囲気のほうが好きなので、荷物ごと移動しなかったのを少し後悔している。

ロッククライミングなど他のアクティビティも充実していたので、次の機会にやってみたい。

 

 

2月16日。

この日は桂林のホステルで自転車を借りて市街地から東に位置する尧山に向う。

桂林の市街地はゴミゴミしていて嫌いだったので、ホステルでアドバイスしてもらったように郊外に行くことにした。

1時間ほどで尧山に到着。道中坂がありなかなか大変だったが、景色はなかなかよく、山沿いに多くの墓があるなど市街地では見れない風景が見れて楽しかった。

尧山は、95元でロープウェイを使って上り下りができ、プラス45元で山の中腹から滑り台で降りてくることができる。 高いなあと思いつつも、せっかく来たのでということで両方のチケットを購入。

結果まぁまぁ景色も良くそこそこ楽しい。

しかし、値段面も考えると、

桂林より阳朔のほうがバックパッカーにはいいなと思う。

 

 尧山ロープウェイ。人が少なくのんびりできた。

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宝峰湖から長沙

2月12日。

 

武陵源での3泊が過ぎ、今日の午後3時のバスで長沙に戻ることになっていた。

前日丸一日歩いて疲れていたのか、起きてホステルをチェックアウトする時には昼頃になっていた。

今日はバスの時間までだらだらしようとホステルのソファに座っていたが、他の客は誰もいないし、天気もいい。

これではもったいない、、!!と12時すぎにホステルを出発、武陵源の中心街へ。

 

中心街に来たもののバックパックを担いだままどうしようかと地図を片手に当てもなく歩いていると、原付に乗ったおじさんがしつこく話しかけてくる。

どこか乗せていくぜ!的なことを言っているので、地図にある湖を指差す。

10元でそこまで乗せていくとのことだったので、やることもないし彼の原付の荷台にまたがる。(なお、長沙でタクシーを乗った時は初乗り6元だったので今考えれば値段交渉をすべきであった。)

 

おっさんの原付で宝峰湖へ向かう。バスセンターから3キロほどの道のり。

天気は晴れ。視界に広がるのは張家界の山々。

バックパックの重さから解放され、ノーヘルで風を切るのが最高に気持ちよかった。

見慣れない景色と知らないおっさんの原付でニケツという馴染みのない移動手段が、自分は今旅をしてるんだなと実感させてくれた。この旅で一番爽快感のある瞬間だったと思う。

 

原付の荷台から。写真を撮るのが遅くいい景色を逃す・・・。

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10分弱で宝峰湖に到着。

ガイドブックにはチケット代74元と書いてあったが、なんと96元も!

13年度のガイドブックで少し古い情報かもしれないが2時間も滞在しない湖でこれは高すぎる、、そう思いながらも、ここまで来て戻るのもシャクなので渋々支払う。

入場門をくぐると滝があり、坂をを少し登りさらに階段を登っていくと、山に囲まれ静かに佇む湖が現れる。

 

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割高なチケット代のせいか人も少なくゴミも落ちていない。

のんびりするにはちょうど良い空間だ。

張家界国立公園には人が多くけっこうゴミゴミした所が多いので、のんびりしたい方にはちょうどいいだろう。

チケット代には遊覧船代が含まれているので、30分ほどかけてのんびり湖と山の景色を堪能することができる。

 

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その後は、武陵源バスセンターに戻り長沙西バスセンターに到着。

友達と合流し夕食をごちそうになる。

この旅行中にあった中国人の友達は例外なくご飯をごちそうしてくれた。これが中国人の”おもてなし”の仕方なのだろうか。本当にありがとう。

 

なお、宝峰湖からの帰り歩いてバスセンターに向かった。所要時間30分ほど。バックパック担いでも歩いてこれたので、節約したい人は歩いてもいいのかも?(なお、行きは多少上り坂になっているのでより大変。)

アバターのロケ地・張家界

2月9日。

早朝、友人の家を出発し、長沙から張家界行きの電車に乗車。

約4時間で、張家界駅に到着。

 

張家界駅付近から、通称アジア一長い、天門山ロープウェイに乗れる。

ただ、私はあまりそれに惹かれなかったので、すぐさまバスに乗り、50分程でホステルのある武陵源区に到着。

 

ホステルで地図を入手して早速、国立公園のチケット売り場に。

幸い2月はオフシーズンにあたり、チケットは136元。

公園内の観光バス乗り放題で入場日から4日間使うことができる。

 

 

ホステルでもらった張家界国家森林公園の地図。

観光バスで移動できる経路や徒歩での所要時間が書いてあり重宝した。

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私の場合は、3日間公園で過ごした。

 

1日目は、ホステルまでの移動で時間を使ってしまったので、十里画廊の入口までバスで行き散歩。今まで見たことのない柱のようにほそい岩山の数々に心が躍る!

その中でも、採薬老人と名付けられた岩が、かごを担いで山を登る翁の様子を影絵にしたようでお気に入り。

 

2日目は、金鞭渓景区を歩いて黄石寨に登り、下りはロープウェイ。

金鞭渓景区は、2時間ほどかけて歩いた。途中に売店があり便利ではあるのだが、そのせいで道にゴミが落ちていたり、サルが多かったりと正直残念な点も目に付いた。特に、サルが凶暴なので注意。食べ物を取られる人を多々目撃した上に私のパンも取れれてしまった(笑)

黄石寨は、ホステルの従業員がおすすめしてくれただけあって見ごたえがあった。登りきると頂上を回れるように道があり、絶景を楽しむことができる。

 

 黄石寨ロープウェイ。岩の間を通り抜ける光景はアバターのワンシーンを彷彿させる。

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3日目は、百龍エレベーターから袁家界向かい、バスで楊家界さらに天子山と移動し、徒歩で下山。

バスでエレベーター乗り場まで行き片道56元となかなか値の張るチケットを購入。

10分ほど列で待ってようやくエレベーターに乗れたが、シーズン中であればかなりの混雑が予想される。

 

袁家界は、まるで浮いているように見れる岩山があり、そこがアバターで使われたよう。アバターに登場する翼竜の銅像があり一緒に撮影できるスポットとなっている。このエリアが国立公園の中で一番人気があり混んでいるような印象を受けた。

天子山まで移動した後は、ひたすら階段を使って下山。所々にかごを担いだおじさんがおり50元でカゴに乗せてくれると友達になった子が言っていた。(どれくらいの距離乗せてくれるのかが定かではないが。)

 

まるで映画のセットのような百龍エレベーター。しかし、エレベーターはギュウギュウ詰めで載せられる上に景色もそこまでなので期待値は低めに。

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長沙滞在

2月7日、昼12時前に長沙駅に着いた。

駅を出て少ししてリーズ留学中に友達になったサニーと合流。

卒業後彼女は高校時代に住んでいた長沙で、英語の先生として働いている。

駅の近くにある彼女の会社に荷物を置かせてもらい近くのマックへ。サニーと友達(ロウィエン?)とお兄さんたちと合流。会ったばかりの殿方からレストランで昼食をごちそうしてもらう。名前も知らないのに本当に感謝しております。

 

特に印象に残ったのが、开胃鱼头带面という川魚の頭を青唐辛子と醤油で煮込んだような料理。魚の煮汁に煮麺を浸して食べるのだが、これが非常に辛かった。何度かむせてしまった(笑)

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昼食後は、レストランのそばにある博物のような所へ。紀元後間もない有名な故人が住んでいたところらしいが、チケットをなくしてしまい覚えていない(酷く曖昧な記憶でお恥ずかしい笑)

 

その後は岳麓書院へ。北宋の時代に創設された学問機関で、中国四大書院の一つらしい。(ほかの三つは、白鹿洞書院(江西廬山)・応天府書院(河南商丘)・嵩陽書院(河南太室山))*1

中は庭あり、広場あり、講堂多数ありと広々としており、一体どれほどの生徒がここで学んだのだろうと素朴に思ってしまった。

 

その後、長沙名物の臭豆腐をトライ。今まで道を歩いている時に嗅いだ鼻につんとくる匂いはこれだったのかとようやくわかった。味は豆腐をあげてソースをかけているため非常に脂っこい。確かにジューシーでまずくはないが、臭いを我慢してまで食べるほどのものではないように思った。僕の中では、一回試せば満足である。

ちなみに長沙で行ったその店は、毛沢東も通った店らしく非常に混んでいた。

 

次の日は、ライスヌードルを朝食に食べて毛沢東の故郷、韶山へ。

長沙のバスターミナルから80分ほどかなりのどかな所である。バスを下りてすぐつくのかと思いきやタクシーを使いさらに移動。一人できたら途方にくれてきたかもしれないと思っていると、毛沢東の博物館に到着。規模も大きく今まで見てきた中国の博物館なのかでも群を抜いてきれい、そしてそれが二つとなり合わせであるから驚き。どれほどの費用がかけられているのか、、。展示は毛沢東の歴史や生家について、また持ち物・衣服にも及んだ。特に興味深いのが、毛沢東の人形が美しい背景と共に飾られていて撮影スポットが設けられていることや過度に美化されて絵画が飾られていることであった。

これらを見ると、個人崇拝がどれほど強かったのか、そして今尚どれほどの影響力があるのかをうかがい知ることができる。

 

博物館内の毛沢東を描いた絵画

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広場の銅像

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なお、中国には1,5,10,20,50,100元と紙幣があるのだが、そのすべてに毛沢東が印刷されている。まさに毛さん万歳である。

 

その後毛沢東の生家と銅像をみて韶山観光終了。市内でバスの乗り違いなどがあり、思ったより時間をさけなかったのは残念ではあるが、2時間ほどで要所は見ることができた。

 

長沙に戻って、

で夕飯。サニーの友達の王さんも合流。彼の下の名前は、ハンサムという意味でわりとよくある名前らしい。

日曜の夜ということもある大混雑。40分ほど待ってようやく中に。注文を待っている間に香港の俳優がいたとサニーたちが大騒ぎ。どれほど有名かわからないが、料理の期待値も上がってしまう。

 

少ししてから、ロブスターの唐辛子煮と蒸しものが大量に到着。サニーは、ロブスターといっていたが、淡水で生活しているし見た目もザリガニに近い。しかし味は間違いない。僕は軽い甲殻類アレルギーなので普段はあまり食べないのだか、ついついたくさん食べてしまった。ほかの料理も美味しくなかなかいいお店であった。

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その後はみんなでサニーの家で晩酌。王さんは男だか少しおねえぽっくて面白い。日本への関心も強い。サニーのいとこにジェニーは素朴で物静かなかわいらしい子。英語が話せて落ち着いた子だったので滞在中には中国語を教えてもらったりしてお世話になった。

これもサニーとリーズで出会えたおかげである。本当にいろいろとお世話になった。長沙で素敵な出会いと思い出ができた。